ドイツ留学記

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男児行方不明事件がドイツで取り上げられた5つの理由

 
北海道の山中で行方不明になっていた男の子が奇跡的に発見されたのは、つい一昨日のこと。春とはいえ、朝晩は冷える山中を6日間、たった一人で生き延びた男の子の発見に、誰もが安堵したことと思います。
 
そんな中、大変興味深かったのは、海外メディアが盛んにこの話題を取り上げたこと。私が暮らすドイツのメディアも、盛んにこの話題について取り上げていました。
 
ドイツ版ハフィントンポストでは、
”Seine Eltern haben ihn zur Strafe alleine im Wald zurückgelassen - ein verhängnisvoller Fehler.”
「彼の両親は彼を罰で一人で森の中へ置き去りにした。- 不幸な結果を招く間違いである。」
というキャプションで、この事件を取り上げています。
 
 
支持の多かったコメントの一つは、
”Das ist nicht nur ein verhängnisvoller Fehler sondern eine Grausamkeit ohnegleichen. Soweit kann man die Disziplinierung also auch treiben.”
「これはただの不幸な結果を招く間違いではなくて、無類の残酷な行為である。できる範囲内でしつけはするべきだ。」
この両親の躾を非難するコメントが多かった印象を受けました。
 


Japanese Missing Boy Yamato Tanooka Found Alive In Hokkaido

 

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なぜ海外メディアがこぞって男児行方不明事件を取り上げたのか、(独断と偏見で)考察してみようと思います。

 
 
①”置き去り”という躾の特異性
 
記事やコメントでは、”置き去りにした”という行為に非難が集中していました。
 
例えば、洋画などで子供が小さな部屋に閉じ込められるシーンを見たことはありませんか?

f:id:kahoutsugi:20160605090032p:plain

ハリー・ポッターが住んでいたダーズリー家の階段下の小さな部屋。

ここにハリーは閉じ込められるように生活していた。

http://4travel.jp/travelogue/11048159

 

欧米では、親が子どもを「部屋に閉じ込める」躾があります。

 
一方日本は逆で、子どもを「家の外に出す」躾がよくあります。
皆さんも、親から「置いて帰るよ!」って言われたことありませんか?
 
実際に、ドイツでベビーシッターのお仕事をしたとき、ドイツ人のお父さんが子供に対して「もう外に遊びに行かないぞ」と言っていたのに対して、日本人のお母さんは「そんなことしたら、もうバイバイだよ」と言っていました。
 
また「勘当」という言葉があるように、日本では昔から家族コミュニティーから排除されることが、家族間における最大の罰でした。
 
家族コミュニティーから排除されることによる、安心感の喪失と恐怖感は、欧米の人からすると私たち以上に恐ろしいことなのかもしれません。
 
 
②日本の自然に対する恐怖感
 
記事には「北海道の寒く険しい森の中で」「クマが出没する可能性もあった」という点が共通して報道されていました。あるドイツのメディアではBärenwald(Bärenが程度を強調する言葉、Waldが森)という単語がタイトルにつけられるほどです。
 
BBCの報道で、二セコアドベンチャーセンターのロス・フィンドリー氏が「ほかの国で想像するような森とはかなり違う」と男の子が行方不明になった森を説明していました。一帯は、樫や樺が多く、地面は笹が覆っていて、クマザサのような低層植物が繁茂していたといいます。
 
私の住むHeidelbergにも山がありますが、山には低層植物は少なく、緩やかな地形で、もちろん熊もでません。休日に家族で足を運ぶような山が、「クマが出るような険しく危険な山である」という認識があまりないのかもしれません。
 
加えて、地震や台風など天災のイメージから、日本の自然が”恐ろしいもの”と考えるドイツ人は多いです。また、ドイツでは森が人々の生活と密接に関わっていますが、日本では自然崇拝や山岳信仰の考え方から、日本の山に神秘的なイメージを持つ人もいました。だからこそ今回、危険で謎めいた場所である山に、子供を一人置き去りにしたことが、欧米の人にとっては衝撃的だったのだのかもしれません。
 
 
③世間体を気にする”典型的な日本人”に対する疑問
 
当初、両親は警察に対して「山菜取りの最中に不明になった。」と男児が行方不明になった理由を偽っていました。その理由が、虐待などと疑われることを恐れるあまり、”世間体”を気にしたからだという。これに対して「”典型的な”日本人だ」「奇妙だ」という意見が多かったです。
 
 
④自作自演説の横暴
 
悪条件の中、男児がほぼ無傷の状態で発見されたこと、捜索打ち切りの前日に発見されたことまど、数々の偶然が重なった奇跡の発見を、自作自演だと主張するコメントもありました。
 
 
⑤法の違い
 
ドイツだと幼い子供を置き去りにすると、場合によっては保護義務違反で逮捕されてしまうことがあるそうです。そのような認識の中で、子供と両親がすぐ対面できてしまったこと(子供は被害者であり、加害者である親との対面は控えるべき)、両親が法的に罰せられないことに対して疑問が上がっていました。

 

+α

これはドイツの”DIE WELT”の記事の一部です。

この事件に関連して、日本の子育て問題について言及しています。
 
Japanische Eltern haben den Ruf, ihre Kinder tendenziell eher zu verwöhnen und nicht allzu streng zu sein.
日本人の親たちは、子供を甘やかしたり、あまり厳しくしない傾向があると言われています。
Allerdings werden Kinder häufig fast wie eine Art Eigentum der Familie angesehen.
もちろん子供は頻繁に家族の所有物の一つのようにみなされます。
Vernachlässigung und Missbrauch kommen in Wirklichkeit deutlich häufiger vor als Verhätschelung.
放置や虐待は、実際は過保護より明らかに頻繁なようです。
 

 

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何はともあれ、無事に男の子が発見されてよかった…。

でも、美談で終わらせてはいけないような気がするのは私だけではないはず。

 

男の子は一度車から降ろされて、泣きながら車を追いかけた。そして再度車から降ろされ、その場に置き去りにされたそう。

 

「置き去り」は躾なのか?虐待ではないのか?

その場にいればよかったのに、なぜわざわざ動いたのか。

もしかしたら何かに対するSOS、”逃げ”だったのではないか。

発見後、すぐに加害者である両親と面会させたのは適切だったのか。

「子どもだから」という先入観による捜索範囲の狭さ。

亡くなっていることを想定するような、虱潰しのローラー作戦。

警察と自衛隊の連携の希薄さ。

市をまたいでしまったことによる捜索の不自由さ。

 

様々な問題が露呈した事件だったんじゃないかと思います。

 

 

海外メディアがこぞってこの事件を取り上げたこと。
日本の親と子供の関係。「躾」のあるべき方法。
 
 
みなさんはどう考えますか??
 
 
追伸:独訳の訂正ありましたら教えてください(泣